牢獄機械文書群 日記
* Log *
2011 1 2 3 4 5 6 7 8
2010 12
author:
Mamiya
Midori
1985 -
06L'Astmo
07La voĉa letero
11pri libroj
13La mondo imagita
23no-title
2011*01 Januaro
06 - 10:26L'Astmo

体調は快復したのに咳が止まらなかったので、新年早々病院に行った。どうやら喘息らしい。最近は出ていなかったので油断していた。もともと肺が弱いので炎症を起こしてしまった。各所でいわれるのが、ストレスの溜めこみすぎ。様々な薬を飲まなければいけないので煩わしい。


Aspire One AOA150 を自室に持ち込み、普段使っている PN33K は作業部屋に放置することにした。改稿ももうすぐ終わる予定。普段はUSキーボードを独自配列(*1)にして使っているが、AOA150 の方は NICOLA を使っているため、いわゆる親指シフトで書くことになるが、今のところ特に問題はない。ソフトウェアも gvim と NYACUS さえあれば支障がない。

*1) たとえば「そうなってしまった」という文は sjnhld と打つ。

さまざまなかたから年賀状が届き、あたたかい気持になる。中学時代の担任の先生からも 11年ぶりに届く。僕は問題児で、当時新任に近い先生を困らせていた。いまの記憶を保ったまま 11年前に戻ることができたらどうだろう。おそらくもう少しまともな生き方をして、今とはまったく違った人生を歩むだろう。そう考えると、戻る気にはなれない。僕はこの苦しくもへんな人生が気に入っている。


07 - 13:49La voĉa letero

5日夜に和太鼓奏者の片岡亮太さんたちと会食した。片岡さんは留学のためニューヨークへ発つ前で、壮行会も兼ねていた。その席で片岡さんにボイスレターが贈られた。片岡さんは10歳で失明なさったが、あるラジオのパーソナリティの言葉に励まされ、音楽で身を立てることを決意なさったという。そのパーソナリティのかたからのメッセージだった。僕も聞かせていただいて、僕に宛てられたメッセージでないにもかかわらず、とても心が励まされた。それはきっと、ラジオを聴いて励まされたひとたちと似た体験だったのだと思う。


僕の小説も誰に宛てたものでもない、が、読んでくれた誰かの心を励ましたい、慰めるのではなくて次のステップへと進む足がかりになれば、という気持を込めている。僕の身近にいるひとに全然届かないこともあるだろう。しかし僕の知らないひとに届く可能性がある限りは、その感覚を忘れずにいようと思う。


11 - 12:16pri libroj (daŭre astmo premedas)

具合が一向に良くならないので、前回とは別の病院へ行った。やはり喘息だったが、悪化しているようで、慢性型へと進行すれば一生治らぬという。前の薬はまるで効かないらしい。吸引器と専用のもっと強い薬を処方して貰った。このところ咳で満足に眠れていなかったので、改善すればいいなと思う。

改稿を終わらせなければいけない時期に、この体たらくで不甲斐ない。何だかんだでほぼ一ヶ月間をロスしてしまった。


行きつけの書店に、注文していた書籍が2冊届いていた。

一冊は北原美那さん推薦の『話の終わり』(リディア・デイヴィス)であり、もう一冊はパーカッショニストの村山政二朗さんから薦められた『リアルの倫理』(アレンカ・ジュパンチッチ)である。

現在シュペルヴィエル、ドールヴィイを再読しながら、ルーセルの劇作を読んだりしているが、諸々済んでからこれら二冊に取りかかろう。トーマス・ベルンハルトの幾つかの未読作品も積読したまま気になっているのだが、僕は読書のペースが速くはないので、気が向いたとき気が向いた本を読むくらいが性に合っている。


きのう坂上秋成君が ustream で朗読をした。僕は途中まで聴いていた。千葉雅也さん佐藤雄一さん、ユリイカの明石陽介君が出演していた。すべて面白く (interese) 聴いたのだが、僕もペソアは好きなので、坂上君が朗読した詩を聴いて元気が出た。フェルナンド・ペソアは異名の詩人であって、たくさんの名前とキャラクターを持っている。徹底的な「なりきり」をしながら詩作したのだといっても、強ち間違ってはいない気がする。以前「羊飼い」という詩を(日本語訳から)Esperanto訳した。最後の節はこんな感じ。

Amo estas eterna purec'  Nome estante nesci'
Sola purec'   tio estas pensi nenion...
- Alberto Caeiro "Ŝafisto"

ペソアの異名とは性質が違うが、メアリ・ウェストマコットとかバーナビー・ロスといった名前が頭を過ぎる。なぜルイズ・ド・ラ・ラメーがウィーダなのか、とか、なぜウィラード・ハンティントン・ライトがS・S・ヴァン・ダインなのか、とか、考えると楽しい。そう考えると、フィリップ・K・ディックがその名のまま『メアリと巨人』などを書いたのは勇敢なのかもしれない。

Ja nur revo estas eterna kaj bela. Malgraŭ tio, kaj kial oni daŭre parolas kiel ĉiam.

13 - 23:24La mondo imagita

シュペルヴィエル『海の上の少女』(みすず書房/綱島寿秀訳)を仕事の合間に再読している。「海の上の少女」は他にも光文社の新訳の文庫とエスペラント訳のものを読んだが、気に入った海外小説は幾つかの訳を読み較べるのが、習慣というか趣味というか……

それはさておき、冷笑的な人物造形といい、神話や童話の世界をモティーフに構築された世界観といい、シュペルヴィエルの小説は僕の嗜好にぴったりと合っている。気がする。


前に友達から、フーケー、ホフマン、ベッケルといったものからノサックやコルタサル、ルーセルなどを薦められて、面白く読んだけれども、やはりシュペルヴィエルは僕のツボを突いてくる。勿論、他にもブルガーコフなど非現実的な世界を描く作家で好きなひともたくさんあるが……ゴーゴリとかマンディアルグとか、忘れてはならないランドルフィとか……

日常に潜む非現実ではなくて、非現実を基底にした世界というものを小説はがっちりと造ることができるはずだ……なのに、奇想かアレゴリーかといったような、軽はずみな分類をされてしまうのは、残念なことだ。


むしろ、僕は日常的な世界の描写には興味がない。このまえ坂上君と横光利一の話になったとき「頭ならびに腹」で盛り上がったが、あれもまた機械的な(機械主義的な)視点から書き出されていることが微妙な緊張感を生んでいて僕は好きなのだ。観察も重要だと信じるが、何より想像性が大切で、それに乏しければ、僕は楽しく読むことはできない。


去年知り合った T さんからシュウォッブ『少年十字軍』を譲って戴いて、これも大変楽しく読んだ。そして思い出すのだが、ワイルドの童話的な世界、「ナイチンゲールとばら」「王女の誕生日」といった冷笑を含んだ作品はシュペルヴィエルとどこか通じている。これも少年時代に知人から戴いたのだが、「わがままな大男」「星の子」などの作品群は古い英語で書かれていて、単語の意味をいちいち調べながら、なぜかときめいたものだ。僕の読書の楽しみはこうしたところにあった。


咳はひどいけれど、あすまでに脱稿するように頑張ろう。


23 - 13:15

朝吹真理子さんの「きことわ」が芥川賞を受賞したことは友人として嬉しく、発表当日のことはEsperanto の日記に書いた。

今月も様々なことがあったけれど、この一週間喘息が改善する気配がなく、改稿に没頭しているのと苦しいのとで各所へ連絡をすることができない。


(自己引用)
Mardo 2011/01/18 18:57Bankedo por S-ino Asabuki

La novelo "Kikotova" skribita de Asabuki, premiiĝis Akutagava-premion hieraŭ. Ni bankedis kune ŝin en Tokio. La nova trunklinio prokrastiĝis pro neĝado. Mi interparolis kun Kitahara kaj Sakagami. Nokte mi bankedis kun Ĉiba Masaja kaj Akaŝi Joŭsuke, sen Sakagami, ĉar li ebriiĝegis. La interparoli estis gaja. Kaj, mi devas elskribi mian romanon.

Estas bono ĉar mi diris "Gratulon" al Asabuki.

月曜日 2011/01/18 18:57朝吹さんお祝いの会

朝吹さんが書いた小説「きことわ」が昨日、芥川賞を受賞した。東京でお祝いの会食があった。 新幹線は降雪のために遅れた。僕は北原さんや坂上君と会話をした。夜には千葉雅也さんや明石陽介君と飲食した(坂上君は酔ってしまい不在)。楽しい会話だった。僕も自分の小説を脱稿しなければ。

朝吹さんに「おめでとう」を言うことができて良かった。


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