『朗読と音楽』
フランス在住の音楽家、村山政二朗の『音』と
三島在住の作家、間宮緑による『散文』。
2011 8/28(sun)
場所: ギャラリー エクリュの森
静岡県三島市大宮町2-16-21伸和ビル1F アクセス
時間: 開場 15:00
開演 16:00
料金: 1,500
(当日券のみ)
朗読と音楽。
いわゆる「コラボレーション」はなぜやる必要があるのか?
それは単に新奇さを狙うため?目先が変わればよい?
それぞれはそれぞれのアクセサリー、あるいは背景?
それは他者同士の未知の創造性を志向した衝突?>> Oh! ステキ!(だったらあんまり考えすぎない方がいいんだわ、だって未知が既知になるでしょう、楽に行こう!)
等々、考えられることはあるはずなのに、実際はあまり考えられていないようだ。必要性がないということなのであろう、コラボレーションの。
結局は:面白ければいいじゃん、本質はいいの。これが支配的な傾向。

思いつくところでは、それは外、ということに関係しているのでは?(まあ、これもミッシェル・フーコーの「外の思考」が種本です。フランス現代哲学:嫌悪か畏怖の対象-ほかのとらえかたはないのかのう)。
自らの裡に穿つ外。それをしないと全ては予定調和に堕して、己れ自身が不毛になってしまいます(自分のために言っているのです、念のため-これも浅薄な理解だこと。でもシンプルな理解が誤読でも役に立つことがある)。

音が朗読の背景ではなく、朗読が音のアクセサリーになるのではない、そのようなものを指向すること(それってできるの?)。
そこには聴取の問題が絡む(という想定)。広い意味の聴くということ。:うーん、わかりやすい。
さて、実際はどうするかのう?かのうなのかのう?どうなるのかのう?
村山政二朗

1957年生まれ。パーカッショニスト。

即興演奏により音楽を始める。

82年、灰野敬二とアメリカツアー。

ジョン ゾーンを中心とする当時のニューヨーク音楽シーンの影響を受ける。

帰国後は、主にKK NULL、細田茂美らと演奏。

99年よりフランスで活動。

現在はソロ演奏と共に、ジャン=リュック ギヨネ(アルトサックス)、

エリック ラ カサ(コンポジション)、エリック コルディエ(ハーディーガーディー)、

ステファン リーブ(ソプラノサックス)の他、

哲学者ジャン=リュック ナンシー、振付家カトリーヌ ディヴェレス、

ヴィデオのオリビエ ガロらと共演。

http://seijiro.murayama.name/
···
コラボレーション。
普段、潜在的に(無自覚に)志向しているなにものかがあって、
しかし自分一人のときや「こういう考えでいこう」と結束した集団の中では、
その実現の可能性を低く見たり、抑圧されている、
それが、自分と類似していない分野/志向をもった人の思考や能力を借りて(どういったものを借りるかは選べない/選ばない)
潜在的(無自覚/言語化不可能)だった志向を露わにする、
反対に自らも、思考や能力を貸し(借りる人が選べない/選ばない)、
その人の露わになった志向を、自分のそれと較べながら、
それぞれの言語化不可能だった志向をひとつの言語にする(そこから具体的な行いが始まる)、
そうした試みではないかと思います。
間宮緑

1985年生まれ。小説家。

2002年より農耕生活を営む。

08年、小説「牢獄詩人」が

中原昌也氏選考の第22回早稲田文学新人賞を受賞。

以後、文芸誌を中心に小説を書く。

他に「実験動物」「猛獣使いと僧侶」「信号」「禿頭姫」など。

9月に長篇小説『塔の中の女』を講談社より刊行予定。

http://kikaibunsho.web.fc2.com/
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