牢獄機械文書群 日記
* Log *
2011 1 2 3 4 5 6 7 8
2010 12
author:
Mamiya
Midori
1985 -
02Don Juan
03Klavi ĵurnalojn japanie
06stelo
07no-title
09no-title
11verda teo
13Mateno en februaro
16no-title
17La Romano elskribiĝis
19no-title
20vekiĝi
20pri lingvo
22Lundo
23fraga ĉokolado
24sensencaĵo
24no-title
25promenado
25hodiaŭ mi promenis
26no-title
27promenado kun geamikoj
27no-title
28no-title
2011*02 Februaro
02 - 11:00ドン・フアン Don Juan

先月30日、SPAC(静岡芸術劇場)で演劇「ドン・フアン」を観た。 仮面劇で、夢幻的でありながら infantia をくすぐられる演出で、コミカルかつデフォルメされたような虚構世界を強固に構築していた。大変楽しい作品だった。

筋は、悪党貴族ドン・フアンが悪ふざけと放蕩を繰り返し、果てに自ら殺した騎士団長の亡霊/大理石像に殺されるというもの。ドン・フアンと随行する召使いスガナレルが物語を運んでゆくが、このエキセントリックな主人と常識人の従者という構図(型)をどう転がしてゆくか、というのが僕の興味を惹く点でもあった。演劇の中ではたくさんの人物(キャラクター)が登場するが、十数人の俳優が複数役をこなしている。

場面の切替の際には暗転がなく、門や海の波やといった小道具は舞台上の登場人物たちが運んでゆき、速度感のある効果とともに下りた幕の前では(そのパッセージの中心人物である)俳優がモノローグをするという、空想的な世界観を途切れさせることのない構成だった。


03 - 13:12日本語で日記書く Klavi ĵurnalojn japanie

坂上秋成君から日本語の日記を更新しないのかと言われてしまった。


しかし丸一日小説の文章をタイプしたあとでは、もう日本語の文章を打ちたくないなあと倦むこと頻りなのです。

手書きで十年くらい日記を書いていたけれども最近は書いていない、というのはやはり同じ事のような気がするし、それにまたメールを書く機会が増えたことで、日記という自己完結した形式の文から遠ざかってしまったという面もある気がする。

十代のころ原稿用紙に書いていた日記が三百枚以上あって本棚の中で丸まっているのだが、それ以来使っている厚手の日記帳はまだ一冊を書きつぶすまで少し余白が残っている。


《日記トランス》とでも謂うべき状態があって、小説などを書く際にも時折あらわれるのだが、自意識の深部や文章の精製過程の中に没入しているような恰好で、その実は単に閉鎖的な、夢から醒める前のひとときのような時間を甘受しているだけだということがある。 (夢から醒めてしばらくすれば、奇想的に思えていた夢も陳腐でばからしく思えるものだ、が、その結果にはかかわらずに) 僕はその状態に自分が陥ることが厭なのだ。芥川が小論の中で無意識を嫌ったのは、そういった要素を嫌ったのではないかとさえ思えてくる。

結果的に、できた文章が面白いとか面白くないとかいった判断以前に、僕はそういう状態を漂っている自分の姿を人前に曝したくはないので、小説制作のあとで何かを書こうとなると、走るかは走らないかでしかないプログラムやスクリプトのコードへと意欲が向かうのだ。

あるいはピクトグラフ(or アイコン)だったり、このWEBページの左上にあるようなドット絵だったりを、たまにちまちまと点を打って、いつの間にか描き上がっていたりする。

そういうふうに小説も書けたら、いいのにな。


06 - 15:02 stelo

昨晩、短い夢を見た。

 月が浮かぶ海の上から、小さな船に乗って、宇宙に出かけた。僕と友達の四人きりで。
 やがて船は錨をおろして、僕たちは星に上陸した。
 星の上は真っ暗で、どこかで波が打ち寄せる音が響いていて、夜の海辺のようだった。僕たちは懐中電灯を点けて、互いに、はぐれないように気をつけながら、砂の多い、乾いた地面を照らして歩いていった。
 やがて仄かな青紫色の明かりが見えてきて、僕たちは合図もなくそれぞれ懐中電灯を消した。光源はちいさかった。鈍色をしたランプのような器具の上で、一輪のヤグルマギクの花が、回りながら光を発散していた。近寄ってよく見るとそれは、細かな光の粒子が渦を巻いているのだった。
「これが?」と仲間の一人が訊いた。
「そうだ」と僕は光を見下ろしたまま、呟き声で答えた。「これが星の明かりなんだ」
 僕たちはその光を囲んで地面にすわった。淡い明かりに僕たちの顔や手足が照らされていた。みんな何も言わなかった。地球に残してきたさまざまなことも、星の明かりを持ち帰るためのガラスの容れもののことも。


07 - 20:16

僕がペテロであればドライアイになど悩まずに済んだものを。


09 - 18:16[mp3]Impromptus Op.90-3(1.14MB)

気晴らしにピアノを弾こうと思ったが部屋が寒いので早々にやめた。長篇など諸々が済んでから、趣味で Chiptune 的な曲を作ってみたいなと思っているけど famitracker に PC のキーボードで打つのは根気が要るので MIDI キーボードが欲しいなと思ったりもするが、自分の性格からいってきっと買わないと思う。チップチューンはわざとチープな(感じのする)音源を使った電子音楽で、たとえば she という人の Pioneer という曲などを僕は気に入っている。クラシックの楽譜はネットサーフで手に入ったりするのでピアノで弾いたりもするけど、あまり上達しない。

これはシューベルトの即興曲(実は即興曲ではない)で、まえに喫茶店で聴いていいなと思ってネットで楽譜を探したのだったが、だんだん忘れてきてしまった。新人賞授賞式の終わりに弾いたのもこの曲だった。これはさっき録った。本当は朗読を録りたいと思っていたのだったが面倒くさくなってピアノを弾き出したら部屋が寒いので早々にやめてしまった。現実逃避はそのくらいにして仕事をしよう。


11 - 03:08緑茶 verda teo

『カーミラ』で名高いレ・ファニュは「緑茶」という短篇の中で、緑茶の飲み過ぎでハイになりすぎて発狂してしまう神父を描いているが、どうも僕にはそれと似た機会は訪れないらしい。喘息の改善とともに、長く続いていた不眠症も解消されたようなのだが、却って不都合のような気さえしてくる。近く読書会があるのだが僕は課題図書を読めていない。小説もまだ改稿が終わっていない。どちらを優先するかとなれば今は勿論小説を優先する。緑茶では発狂しそうにないが、小説のために発狂しそうである。


それとは関係ないが先月末に観たドン・フアンの「いいえ奥様、天を罵るなどとんでもございません。地獄に落とされたくはありませんから」という二人の隠者の台詞が妙に記憶に残っている。僕はあのシーンが好きだ。物語の主な流れに対して、傍流のような展開がなされるけれど、そうした場面というのはなにか転調のようなもので、急激な心地好さが僕を襲う。


13 - 18:42二月の朝 Mateno en februaro

きのうは睡眠をとらずに話の席に向かったため、いろいろ無神経かつ無思慮な言動があったかもしれない。僕はもう幾らか開き直って厚顔無恥でいなければ、非-小説の世界を過ごすことができなくなっている。

深夜、新宿駅前の椿屋珈琲店は僕の頼みの綱だ。ここで僕は持参した本を消化する。退屈は僕の読書欲を唆す。もしこの店に書籍販売部が設けてあったら、僕は顧客になるだろう。五時過ぎの新宿駅、早朝の品川駅は、見慣れた風景になっている。

新幹線の車内でうとうとし、いつか浅い眠りに就き、目を覚ますと窓の外を流れてゆく街はうっすらと雪の層に覆われていた。足跡のない白い道路、駐車場、灰白色の屋根の数々、やがて融け出して水に変じることが、この自然の演出技法なのだ。

僕はまた少し眠った。

駅の外に出ると舗装路に霜が降りていた。霜は靴の底を凍りつかせ、滑らせようとする。ふと過去に戻ったような錯覚に囚われる。霜柱を踏んで歩くことの楽しさ。やがて通学の子供らがやってくるだろう。


16 - 11:44

さまざまな事ども。

まず僕が課題図書を読まずにしまったのは今回が初めてであり、そのことで大変反省をしたのだった。また他にもいろいろな反省はあるのだが、その一つ一つを綴ることはしない。

小説の改稿はあと一息というところだ。得体の知れない虚脱感が僕を襲っている。いま僕は休憩して Black Sabbath の "Sabbath Bloody Sabbath" を聴いて癒されている。先日は関口君や浅井さんと『悟浄出世』, 『悟浄歎異』の話をしたけれど、大分忘れてきていたので、少し再読してみた。あらためて中島敦の文章の良さを実感する。僕はあまり小説を読んで興奮するたちではないが、中島敦は胸を熱くさせる数少ない作家の一人だ。僕は十五歳のとき『李陵』を読んで読書感想文を書き、以来この簡潔でありながら強かな文章に魅せられて、或る短篇を書いた。

同じ席で、乱歩の『妖虫』に登場する着ぐるみが何だったか思い出せなかったが、サソリだった。

ともかく、近々仕上がるだろう長篇のあとで、今回の課題図書も含めて、積読してある思想・哲学系の書籍を消化するつもりだ。僕はまだ『千のプラトー』もきちんと読んでいないのだった。そこらに置いてある本の中でも一際厚く、まるで僕の怠惰を責めているかのように視界に入ってくる。どちらかといえば小説の方が好きなので、豊住さんから紹介してもらった本なども読みたいのだが。

上述と同じ席で、明石君から「日記を見て心配した」と声を掛けて貰ったが、僕もとうとう人に心配をかけるような文章を披瀝してしまったのだと、これも反省し、当該の記事を非表示にした。坂上君や西河君の Twitter のようには記事にすべきさまざまなことが僕の脳裡にはない。文学にかかわることなど電話で議論したりもするのだが。

できれば面白可笑しいことを書きたいのだが、近ごろはそんな出来事もない。それにまた、あまり面白ければ小説の材にしたいので、直裁に日記形式で書かずにおいてしまうだろう。一体、僕は何を考えて「日記」という項目を設けてしまったのだろうか。……こうしてぶつぶつと呟き続け、遍歴するというのが『悟浄出世』のあらすじである。僕の独り言は中島敦に包摂されている。


17 - 16:09小説が書き終わる La Romano elskribiĝis

前日の日記をアップロードするまえに長篇の改稿が終わった。小説をひとつ書き上げると、人生をまっとうしたような気持に襲われるのはなぜだろう。今回は制作期間がかなり長かったので、反動もでかい気がする。自力で記憶喪失とかになんないかな。

とりあえず坂上君か明石君が、記念に僕に焼き鳥をおごってくれるだろうと信じて待つ。


19 - 09:21

小説を書き終えた途端、また眠れなくなった。そこに因果関係があるかどうかは不明だが。

きのうはよくない態度をとってしまった。おそらく挨拶だけはきちんとしていたと思う。一日ぼんやりしていたので、断片的な記憶しかない。長い夢を見ているのとほとんど同じ。たったひとつの違いは、それが夢ではないということだ。

古くからの友人たちは、僕が人に誤解されやすいので誤解を受けないようにと平生から忠告してくれるが、その忠告が効いたためしがない。それは朦朧とした夢を明晰夢へと転じさせる試み。夢の中で理性を取り戻すわざだ。

日比谷に傘を忘れてきてしまったので、早朝に取りに戻った。通りには人がいない。パノラマの中を歩いているようだった。それで少し気分が良くなり、電車から新幹線に乗り換えて帰ることができた。

だが自分で気に病んだりはしない。必要な反省はするものの。あまり思いつめることは、幻肢体験と同様に思う。患部は傷痍・消耗しているのではなく、もとからないのだ。

僕は大変楽しい時間を過ごしたのだが、あまり他人を疲労させないようにしたい。


20 - 06:38書く vekiĝi

きのうの朝の10時からけさの5時まで眠ってしまった。19時間も寝たのは久々だ。起きてまず冷蔵庫を開けた。眠っていてもお腹はへる。ロールケーキをひときれ食べた。

携帯電話でメールを見た。長く入院していた友達が退院するらしい。喜ばしいことだ。みんなで伊豆に桜を見に行くのが楽しみだ。回復の様子を見て、日にちを決めようと思う。

おとといの夜、何人かで理想の人物像の話をしていたときに、僕は《強さ》が一番大切だと思うと話したが、寝て目が覚めてみると、どうも大切なのは強さよりも《心の清らかさ》と《優しさ》だと思う。だから《強さ》は三番目に大切なことだった。退院する友達は心がとてもきれいで優しい。病理的には強くない(と思う)けれど、とても強い人だと思う。僕が人をどうこういうのは僭越なのかもしれない。でも、僕はそういうひとが友達でいてくれて本当に幸せだ。籠もりがちな僕の世界を拡げてくれる。


20 - 11:41言語について pri lingvo

芥川賞授賞式祝宴の日のことはエスペラントの日記に書いた。日本語で書くと(偏執的に)「文体」に気を遣ってしまうが、Esperanto で書く分には script code を書くような、すっきりした気分で書けるから、書きやすい。(読めない、と言われるかもしれないが、ラテン語ベースの言語ができれば大体文意がつかめるのがエスペラントだと思う。いらつく人がいるのもわかるが、バイナリを配付する代わりにソースコードを公開しているようなもの。make せよ。とは言わないけど。)上達したらエスペラントで小説を書いてみようと思う。エスペラントは国際補助語だから外国語ではないが、将来的には外国語で書いてもみたい。

中島敦が好きな所以。漢語に親しみそれを小説の文体に活かしたこと。斎藤緑雨が好きな所以。江戸文化に親しみそれを小説に活かしたこと。そういうと、古い印象を受けるが、それでいながら新奇な文学哲学を持っているところが、かれらのすばらしいところであり、憧れである。

英語の方がラテン語よりもマーケットが大きいのは明白だ。が、「文」あるいは「文学」というものを考えたときにラテン語の力が強く感じられるのであれば、ラテン語を学ぶことを選択する。というのは、文学にとっての言語は、その話者(母語者)のためだけのものではなく、言語間を跨いで ものを考えるための1つのセットだと思うからだ。勿論そのセットは漸次更新されてゆく。 言語はツールではなく語を走らせるエンジンだと思う。

google 社は社内語を python に統一していると聞く。会社での言語を英語に統一するという話と同じくらい、驚きと違和感の残る話。小説もプログラムも、言語でものを作るという点では変わりがない。


22 - 06:28月曜日 Lundo

一時的に妹が帰ってきた。妹の部屋でピアノを弾き合いながら長々話した。にわか付け焼き刃の僕と違って、妹は3歳からピアノを習っているので聴き応えがある。妹はドビュッシーが得意だ。僕が朗読の練習をしていると、大仰な演技の入った朗読をしながら何度も割り込んできたり、席を離した隙に隠れて「わっ」と僕を驚かしたりして喜んでいる。「ゲームやろう」と言うので埃まみれのプレイステーションを引っ張り出して遊んだ。その後僕は用事に少し遅刻して叱られてしまい、帰ってから『言語』(サピア)を読み始めた。


23 - 07:08イチゴココア fraga ĉokolado

きのうは妹の引っ越しの手伝いだった。そんなに運ぶ物が多くはなかったとはいえ、移動で疲れた。

某所でE誌のA君と会って『話の終わり』のことなど少し話をした。愉快な時間を過ごした。

一日疲れ気味だったが、帰りに自販機で、いちごココアを発見して飲んだので何となく機嫌が良くなった。一番好きな飲料がこれだ。(二番は麦芽コーヒー。)今月も残すところ僅かだが、「時」をテーマにした散文詩とミニコミ誌のエッセイを書くことになっている。そして来月は短篇を一つ書き上げるつもりだ。


24 - 16:26徒然 sensencaĵo

最近は日記以外碌に更新していない。vim についても、一般性のないスクリプトを公開してもしかたないし、TIP的なことを書くのも WWW 上のキップルを増やすだけの気もする(他サイトの記述と重複する)ので、 慎重になっているのです。

***

ここで vim の設定について少し書くと、僕は .vimrc (起動時に自動で読み込む設定ファイル)にあまり複雑な設定を書いていない。必要なスクリプトファイルがあれば必要になったときに :source で読み込んでいる。

また、小説を書くときとスクリプトを書くときとで設定を変えたい場合もある。さらに、この小説とあの小説とでは設定を変えたい場合もある。そのそれぞれについて autocmd (対象のファイルについて指定のスクリプトを実行)を設定するのは、煩雑化を招く気がする。

そこで、細かな設定をしたいディレクトリに .rc (あるいは好みで .vim でもよいと思うが)というファイルを作成し、起動時にカレントディレクトリに .rc があれば source するというふうにしている。以下の一行を .vimrc に追記すればよい。

autocmd VimEnter * if filereadable((expand('%:p:h') .'/.rc')) | exec 'source' expand('%:p:h') .'/.rc' | endif

これによって、複雑な設定が不要な場合には vim が高速に起動する。僕の .vimrc および .gvimrc の行は合計して 160行程度だが、最近の小説の .rc は400行程度ある。

***

このように vim の環境に不満はないのだが、問題はビューアとフォント。五、六年前に自分用にビューアを自作したのだが、ハードディスクが飛んで、ソースごと消えてしまった。言うまでもなく初めから作り直す気力はもうない。

フォントは東雲明朝を使っているのだが、unicode フォントではないので第三水準漢字が表示されない。僕のやり方が悪いのだと思うがフォントリンクもうまくいかない。最終的に vim の substitute や sed で置換すればよい(ワープロ代用字を正しい字に; それぞれに対し :%s/foo/bar/g する function を作っておけば一瞬で済む)のだが、なんとかならないかなあと思う日々です。


24 - 23:55

友人から電話で「みっともないから弱音を吐くな」と叱られてしまった。自分の文章の未熟さを自覚し、謙虚でいろ、慢心するなということだった。初め反撥を覚えたが、だがその言葉は正しいのだと思う。僕には慢心に傾きやすい性質がある。挫折という語を用いるほど僕には積み上げた物などなかったのだ。自省し、次に為すべき事を進めなくてはいけない。


25 - 10:23散歩 promenado

きょうは散歩に行く。天気がとてもいい。


25 - 17:48今日は散歩した hodiaŭ mi promenis

きょうは二時間半くらい知らない道を散歩して、麦芽コーヒーを買って、お菓子の店に寄ったりもした。きょうは晴れて暖かかった。小さな畠や、溶接所のシアン色の火花を見た。家に帰って少し筋トレをして、ピアノを弾いて、読書した。花粉が飛んでいるようでくしゃみが出て、目が赤くなったけれど、たぶん楽しい一日だった。

あすはオシキさんたちと散歩に出かける。オシキさんとは十一年来の友達で、落ち込んでいるときいつも励ましてくれる、僕には勿体ないくらい良い友達なので、会えるのが嬉しい。きっとあすはきょうよりももっと楽しい一日になると思う。


26 - 04:42

いつの間にか寝てしまい、のど飴をのどに詰まらせていたらしく、母と妹たちによって密室に閉じこめられ毒ガスで殺されかけるという夢を見てうなされた。いつもは携帯電話は就寝前にサイレントモードにしているのだが、きょうに限ってなぜか着信音が最大に設定されていて、ちょうど須田さんからメールが届き、その音で起きて助かった。夜中の3時半だったが、勿論その時刻にメールが届くことは滅多にない。偶然の作用で助かって良かった。

6時半までもう一度寝ようと思うが、しかし改めて部屋の中に散らかった本を見るとため息が出る。もう本棚を入れるスペースが部屋にないのだ。友達から借りた本が五百冊余あるので、それをどうにか少しずつ消化して返していけば、本棚に空きが出てくる気がするのだが、僕の読書ペースはそんなに速くはないのだ。

あすは電車の中で『イルクーツク物語』(アルブーゾフ)を読もう。前にパラ読みしたときにはあまりピンと来なかったが、ちゃんと時間をかけて読んでみたいと思っていた。持ち歩ける本だし、行き帰りで読了できそうな感じ。晴れるといいな。


27 - 01:26友人との散歩 promenado kun geamikoj

きのうは友達のオシキさんたちと散歩に出かけた。

午前は、建築家の藤井さんがデザインしたお家の内覧会にお邪魔した。建物の構造や装飾画的な転写のことなどいろいろとお話も伺った。採光がよく空中菜園もあり、朗らかな感じのする家だった。


午後は高円寺に行って雑貨屋やギャラリーをめぐり、絵本カフェでコーヒーを飲んだ。オシキさんが見つけた『3びきのかわいいオオカミ』という本が非常に面白かった。(未読のかたには話せない内容。)


一日たくさん歩いたのだが、僕の古本屋での滞在時間が長かったのは反省すべき点だ。思っていたよりも古書店が多く、いけないと思いつつも入ってしまった。僕にとって古書店は鳥もちのようなものだ。そこらじゅうにパパゲーノがいる。そしてやはり買ってしまった。この物欲だけはずっと謎のままだ。

購入した古書は以下の通り。

オトラント城奇譚 [ウォルポール] V.(2冊組) [ピンチョン] 別冊文藝春秋 第26号
カレワラ [フィンランド叙事詩] 落葉 [ガルシア=マルケス] 海の百合 [マンディアルグ]
永久戦争 [P.K.ディック] 見えない都市 [カルヴィーノ] 美女と野獣 [コクトー]

すでに持っていて重複しているかもしれないという緊張感に打ち克ち、買って帰った本もちらほら。『永久戦争』は中身は既読だけど3冊で揃えて置きたかった。『オトラント城』はやはり(歴史として)読んでおきたい一冊ではある。

また後述するが家から持って行った『イルクーツク物語』は(座席に座れた時刻の関係もあり)電車内では読みきれなかったが、途中まで非常に面白く読んでいる(おもに構成に於いて)。


しかし久々にオシキさんと話せて良かった。雑談も楽しかったし、銅版画の話も面白かった。それにまた、一つ一つは書かないけれど、とても良い友達だと改めて思った。楽しい一日だった。


きょうも少し出かける用事があるのだった。出かける前に一曲だけ弾いてみた。工事の音ががんがんに入ったけど。


28 - 10:45[mp3]やさしい雨(2.20MB)

きょうは雨。TAM Music Factoryさんの「やさしい雨」を弾いてみた。本を整理しなければいけなかったり、書く物があったりするんだけど、一曲だけ。きょうは書いて、読んで、書いてで一日が終わるかな。多分。


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