牢獄機械文書群 日記
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2010 12
author:
Mamiya
Midori
1985 -
05物語の始まり
07no-title
2011*04 Aprilo
05 - 17:44物語の始まり

先日の読書会では、ゲストに都甲幸治さんをお迎えして、『話の終わり』(リディア・デイヴィス)と『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』(ジュノ・ディアス)について議論をした。

都甲さんといえば『偽アメリカ文学の誕生』をとても面白く読んだのだが、ご本人もとても楽しくそして優しい方で、アメリカやラテンアメリカの社会が持つ価値観や生活形態について『オスカー・ワオ』に関連しながらお話をしてくださり、作品についてもまたアメリカと文学についてもいっそう考えを深めることができた。

学生街が平原の真ん中にぽつりとあることなど、たくさんの印象深いお話があった。また J.ディアス『ハイウェイとゴミ溜め』周辺のこと、『話の終わり』の著者L.デイヴィスについて興味深いお話がたくさんあった。

僕は今回の課題図書両方の感想文を書いたが、『話の終わり』についてはわりと長く書いた上に読書会で完全に消化できたので、この記事では特に触れない。


オタク文化はともかく、『オスカー・ワオ』について、家族年代記の形式を取っていることと、語り手にユニオールという家族外の人物を設定していること、そしてオスカーが熱中し創作しているのがロールプレイング・ゲームであること、の3つがこの小説の背骨を作っているのだということが、一読して初めに抱いた感想だ。

家族年代記の形式である点についてはわざわざ僕がしゃしゃり出て費やすべき言葉はない。この作品では、長い圧政下の社会と繰り返される迫害[フク]を三代にわたって描いている。

ロールプレイに関しては、(読者に対する)ただのツカミではないこと、トルヒーヨの(あるいはヒトラー的な)悪を表現するのに虚構を持ち出すより他になかったという理由だけではないだろうことは、主張しておきたい。というのは、ロールプレイング・ゲームには[正しい選択]というものが存在し、それは、いってみれば[正義(正しい行い)]なのだ。

オスカーが徐々に成長することはない。ある時点でオスカーは変容する。僕はそこにロールプレイング・ゲームの特徴と、シャザム!という呪文の現れを見た。


読書会後に食事をしながら皆で都甲さんとお話をしたが、二十歳前後の頃にこんな先生と出会っていたらと思い、大学に進まなかったことをほぼ初めて悔やむ気持になった。思わず中学高校時代という僕の黒歴史が記憶の底から洩れてきたほどだ。


黒歴史といえば黒歴史同人誌を作っているチームの一人の文芸批評家坂上君が帰りにラーメンを食おうぜと言いだしたので、いやいやながらというフリをしながら毎度朝まで付き合っている編集者の明石君とともに、ラーメンを食べた。僕が食べたのは七百五十円のつけ麺だった。しかし明石君はよりチャーシューが盛られたつけ麺を食べていたので、僕もそれにすればよかった。

坂上家に乗り込んでからまたマジメに小説の話などをしていたのだと思うのだが、坂上が ustream で放送をやろうと言いだし、放送開始直後になぜか坂上が出て行き(追記:お酒を買いに行っていたらしい。聞いていたし僕も飲みました。ええ。 2011-04-07 18:41)、部屋にひとりぼっちになってしまったので、コクトーの『ポトマック』の一部を暗誦した。拙著「牢獄詩人」も読んだ。そのあとで合流してからはカフカの「父の心配」「バケツの騎士」だとか、たまたま持っていたマンディアルグ『オートバイ』を朗読した。

放送中にコメントを戴けて嬉しかった。書いた小説を読んで貰えることは掛け値無しに幸福だと感じる。読んで良かったと思って貰えるならばもう無上の幸福だ。本が作者読者の両方にとって得なのは、読んでも減らない点であろうと思う。


07 - 18:39no-title

本日発売の[新潮]5月号にエッセイ長い記憶とこれからの対話を寄せました。


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